『社会の教育システム』7章の要約メモ

 こんにちは。繁忙期に入り、続きの記事を投稿するのが遅れてしまいました。ルーマン本も、これで最終章です。社会システム理論の言葉で、教育的な事象を再記述することの意義が示される部分です。難解ですが、ルーマン理論を教育研究に応用する可能性を考えるうえで欠かせない章だと思いました(最後の節は、ルーマン的な「社会学的啓蒙」の意義を教育に即して繰り返し強調しているだけ、のようにも読めますが)。

第七章 自己記述

I <差異の一体性>としてのシステム(pp.235-237)
 システムは作動に用いる区別を自らに適用することはできないが、システム/環境の差異を自己の内部に転写し、自らを記述することができる。本章の目的は、セカンドオーダーの観察者として教育システムの自己記述を把握することにある。教育システムの自己記述は、理念/実践の差異図式を用いて、高い理念を掲げることによってなされる。


II 旧ヨーロッパ的・身分制的な<自然への依拠>(pp.238-241)

 18世紀ごろまでの旧ヨーロッパ的な社会秩序(成層化された社会)においては、「自然」という概念を用いて教育を論じていた。洗練さが自然な振る舞いとして示されることが、階層的な秩序のもとでの教育の目的であった。機能分化したシステムへの移行は、自然概念の廃棄ではなく、そこに組み込まれる人々の対象範囲が拡大するなかで進行した。聖職者ではなくプロフェッショナルな職業教育を受けた教師を登用する動きも同時に進行し、階層的/宗教的な秩序からの離脱が図られた。

III 自然をはじめとする<理念>の無力化(pp.241-249)

 機能的分化が進むにつれ、「自然」というシンボルは説得力を失い、「自由」という主題が浮上する。そこでは、自由な主体を因果的に統制するというパラドックスが生じることとなり、その乗り越えのために「価値」というシンボルが使用されるようになる(が、価値だけでは情報が不足している)
 他方で、自然から自由と価値というシンボルを使用することに伴って、教育を「技」とみなす記述も存続困難になり、その代わりに教育を「学術」の応用として理解する試みが登場する。こうした自己記述の変化は、近代的な学校組織の普及によって支えられていた。
 これらはみな、機能システムが分離したという事実を事後的に振り返ることで明らかになる事態である。教育は(階層的な秩序を前提とした)道徳の振興を断念し、教育システム内部で生じたコミュニケーション可能性の過剰をシステム固

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じぶんのためのメモ
Oct 12, 2006



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