「人の死」と臓器移植医療「人の死」 6/18、臓器移植法改正案が衆議院を通過した。「脳死」を「人の死」とする法律である。臓器移植を巡る国際環境が厳しくなりつつある中で、臓器移植だけに「生きる」ことへの望みを託している患者と家族の心証を思うと心が痛むが、人間の尊厳の究みである「人の死」を多数決で決めてよいのか、という疑問が湧くのも否めない。それだけに、「人の死」については十分に審議され国民全体のコンセンサスが得られなければならない。だが、今回の衆議院は単に「多数決」で決めた感が強く審議を尽くしたとは到底言い難い。良識の参議院はどのような判断をするのだろうか?母親は子供が幼ければ幼いほど本能的に自分の「分身」として感じている。意識が無くとも、呼吸していることが確認できれば本能的に「生」を感じ取っている。意識が無いなのではなく「長い眠りについている」と考える。奇跡を待つのは、人間としての偽らざる気持ちであるし、また臓器機能の不十分ささえ解決できれば長生きできることが判明している場合、臓器移植を願うのも偽らざる親心である。臓器移植医療は、交通事故等の不慮の死によって突如失われる健全な臓器を何とか生かすことは出来ないか、という医学的医療的発想と健全な臓器を求める患者の願いによって生まれ発展して来た。その根底には「人は死んでも暫くは臓器は生きている」という観念があるのだが、何を以って「人の死」とするか、非常に難しい問題である。昔は心臓が停止後、「通夜」を挟んで24
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