短編小説 「明石の落日」 第一話

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*** この物語はフィクションであり、史実に基づくものではありません。***

 佐紀の宮

最初の舞台は、四世紀末の倭国。佐紀の宮(奈良市佐紀町)である。
大王(おおきみ)の留守を預かる一人の王子がいた。
名は『香坂皇子(かごさかのみこ)』。足仲彦大王(たらしなかつひこ=仲哀天皇)の第一王子である。
もう一人、第二王子の忍熊皇子(おしくまのみこ)が佐紀の近隣、忍熊集落(奈良市押熊町)の住民を治めていた。

『佐紀の宮』は、盆地北部の平城山(ならやま)山麓、現在の奈良市北部に存在したと推定されている。
祟神朝から景行朝にかけて繁栄した纒向宮(まきむくのみや,桜井市)にかわって、三輪王権後期に行政機構が遷都したと見られている。
なお皇居は、都とは別に、大王ごとに各地を転遷した。
この地方は、開化朝の時代より、後に和邇氏の祖となる有力豪族のテリトリーであり、多くの高級官僚、王妃を輩出する地域でもあった。
現存する佐紀盾列古墳群は、多くが王妃陵に比定されている。宮が存在したと見られる地域は、後世に平城京の造営で、その下層に埋もれてしまった。
三輪王権から河内王権に移行する過渡期に存在した都と見られるが、その規模や性質など、実態は謎につつまれている。

香坂、忍熊両皇子の父、足仲彦大王は、本来なら熊襲征伐のため筑紫(福岡県)にいるはずである。
大王には、両皇子の義母にあたる皇后、息長足姫(おきながたらしひめ=神功皇后)が同行していた。
しかし、息長足姫は、大王の方針に従わず、自ら受けたという神託に従って半島への侵攻を敢行した。
記紀に言う『三韓征伐』である。

足仲彦大王は、その遠征の直前に謎の死を遂げる。
半島への侵攻に反対した大王を排除しようとした、息長足姫と臣下の武内宿禰(たけのうちのすくね)による謀殺が疑われている。

また、息長足姫は遠征の直前に皇子を身ごもっていた。この皇子の父親も大王ではない可能性が大きい。
半島遠征の期間、足仲彦大王の崩御は、世間にも、大和の両皇子にも

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ノンセクション | 小説
2008/11/10




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