ネストレ25版

 最近、手に入れた本から。

 8月初めに、神田の友愛書房で購入。確か1000円。「コロサイ人への手紙」あたりに、いくつか書き込みがあるせいだろうけど、安い!ネストレは、26版から本文を大きく転換したため(現在は27版で、これは26版と基本的に同じ本文)、ある意味ではメモリアルな本だろう。

 田川建三氏に言わせれば、ネストレ26版は、同じアーラントが編集に参加しているUBS3版=田川氏のいわゆる「アメリカ版」と本文を同一にした結果、アメリカの植民地主義・キリスト教ドグマにあわせるテキストを作ろうという気持ちが働き、どの読みを本文に採択するかという選択において「保守的な傾向をまぬがれていない」という(『書物としての新約聖書』勁草書房)。そのことの当否はここでは問わないが、この25、26版、大事なところで違いがあるのも事実だ。

 一番わかりやすいところとして、マルコ1:1 の「イエス・キリストの福音の初め」の部分の画像をアップしてみた。右ページの表題「KATA MAPKON(マルコのよる)」に続く1行目、その最後にある小さな「T」の字に似た記号は、そこの部分に挿入される「異読」があるということを示している。新共同訳などでは「神の子イエス・キリスト」となっていることからわかるように、ここには「神の」「子」という2語が入っている写本がある(B=バチカン、D=ベザ、L=レーギウス、W=ワシントンほか)。「神の」「子」にあたる部分は、シナイオリジナルやΘ=コリデティ、小文字写本28ほかの写本にはないので、25版ではこの「神の」「子」なしの方を採用していたのだが、26版からは判断がひっくり返って、括弧付きながら、[神の子]が追加されたという事情がある。このあたり、

<以上、どう考えても「神の子」は後世の挿入である。だからこそ、正文批判がひたすら学問的批判精神のみに依拠して発達していった重要な時期の学者たちはみな(ティッシェンドルフ、ウェストコット・ホート、ネストレ二五版まで)一致して、「神の子」のない「短い読み」を本文として採用していたのである。それが、宣教師用のアメリカ版で「神の子」が導入され、それに引きずられてネストレ二六版でも導入されてしまったのだ。二六版が必ずしも二五版よりもよくなったとは言えないことの一例である。>田川建三・上記本、p.475-476

っていう御説もあるのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか(笑)。この箇所については、また別稿を期したいが、ちなみに一言だけ。

 今現在、ネストレの付録には、このマルコ1:1の「神の子」の箇所について「T (H) N ut  シナイ

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『書物としての新約聖書』
2006/08/19



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