蕎麦と江戸の屋台江戸時代には行商人が天秤棒に様々な商品をぶら下げて町の中を売り歩いていました。
火を持ち歩いて暖かい食べものを売り歩く商人もおり、蕎麦も夜間に屋台で売られていたのです。
夜蕎麦売りの屋台は、天秤棒の両端に道具入れになる縦長の箱がつき、この箱の上に雨よけの屋根がのせられたつくりになっていました。
蕎麦売りは天秤棒をかついで移動し、これが降ろされると天秤棒の両端に付いた箱が屋台の柱となりました。
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火を扱う屋台は度々火事の元になったため、江戸時代を通じて徳川幕府は夜蕎麦売りなどを再三禁じようとしましたが、この規制はあまりうまくいかず、蕎麦の屋台売りも排除されることはありませんでした。
むしろ江戸の火事は屋台を増やす切っ掛けになったともいわれています。
1657年に江戸の町の三分の二が焼失してしまう大火事があり、これ以降、江戸の屋台店が増加したのです。
大火後の再建による復興景気で職人の給料が暴騰し、地方の職人も江戸に流れこむようになり、この激増した職人達を目当てにした振り売りと呼ばれる屋台が増えたためです。
その中でも夜中に売られる蕎麦やうどんは人気がありました。
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当時の夜蕎麦売りの営業期間は立冬(今でいえば11月初め頃)から冬の終わりまでの間でした。
夜蕎麦売りが冬期に限られたのは江戸時代の生活習慣に関連しています。
江戸時代は日の出と日の入りに合わせて食事が摂られ、燃料節約のため夕食後はなるべく早く就寝していました。
冬の間は夕食事間が早く朝食時間が遅いことから夜中に小腹がすくこともありました。
しかし一度消した火をおこし直すのは手間が掛かり、お腹が減っても起き出して夜食を作ることはこの時代簡単ではありませんでした。
そこで、冬期の夜蕎麦売りが江戸の庶民から便利に使われていたのです。
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屋台蕎麦屋が出始めた頃から夜蕎麦売りは「夜鷹蕎麦」と呼ばれるようになりました。
この夜鷹蕎麦の夜鷹とは、夜の街角に立ち色を売る女性のことを意味したという説があります。
このような女性達が夜蕎麦売りの常連客だったことから夜鷹蕎麦の名がついたといいます。
夜鷹蕎麦の名の由来についてはもう一つ説があります。
江戸時代には鷹匠用につくられる「お鷹蕎麦」と呼ばれる蕎麦がありました。
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