種子 五、六年前まで、我が家から200メートル先に大きな雑木林がありました。
土地の人たちはヤマと呼んでいましたが、私たちはそこが大好きで、休みのたびに半日ほどは入っていました。
この雑木林一帯は、駅が出来て街になるという話はずいぶん前から聞いていましたから、林の中のいろんな木、ツゲ、ヤマつつじ、榊、やぶ椿など、手ごろな木をいただいて我が家にお引越しいただき、庭木や垣根にしていました。
そこには赤松がたくさん生えていたので、庭木にしようと赤松の手ごろな苗木はないだろうかと、毎回毎回探していましたが、小さな赤松は一本も見つかりませんでした。
ある年、林に測量が入り、そしてその秋ついに林の木が全部切られてしまいました。
次の春、名残惜しさもあって、雑木林の跡に行ってみました。切り株と、捨てられたような枝が散らばって、荒涼たる眺めでしたが、びっくりしたのは、荒らされた地面にいっせいに赤松の小さな木が姿を現していたのです。
あれだけ目を皿にして探してもなかったのに、この荒れたところに一斉に芽を出していたのです。
種子というのはすごいものだと思います。この時芽を出した種子は、決して前年に落ちた種子ではないのです。うっそうとした林の中に落ちた種子は、お日様が射す条件がそろうまでじっと待っていた、十年前、二十年前の種子もあったはずです。
アメリカの山では山火事が多いので、山火事がおきなければ芽を出さないという種子もあるそうです。
私たちが使う野菜の種子は、毎シーズンごと、半年で売れ残ったものは全部処分されています。でも本来種子とは、条件がそろうまで、何十年、何百年、じっと待っているものなのだなあと、気づきました。
人間が育つのも、学校では六、三、三、四と、遅れないように付いていかなければいけないような雰囲気もありますが、親が、いつか芽を出すと思えるようになれば、家庭問題などほとんどなくなるのでしょうね。
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