三沢光晴の死先日、自室の部屋を整理したのですが、その際、大量に処分したものがありました。それはプロレス関係の雑誌。週刊プロレス、週刊ファイト、週刊ゴング等々。学生時代、毎週のように買っていたプロレス雑誌でした。処分する前、パラパラとこれら雑誌をめくりながらふと学生時代のことを思い出しました。
学生時代、僕はプロレスにのめり込んでいた時期がありました。プロレスにのめり込むといっても自分でプロレスをするわけではありません。そもそも、僕はひ弱で痛い事をすることが嫌いですから。プロレスを見ることに熱中していたのです。僕の学生時代、テレビではプロレス中継がありました。今では信じられませんが、テレビのゴールデンタイムと呼ばれる時間帯にプロレスの試合の生中継があったくらいです。テレビの娯楽の一つとしてプロレスが存在していたのです。当時、プロレスの団体は主に、アントニオ猪木が社長を務めていた新日本プロレスとジャイアント馬場が代表をしていた全日本プロレスがあり、お互いがテレビ中継をしていました。この二つの会社、犬猿の中のようなところがありまして、お互いに交流することはなく、むしろお互いの人気選手を引き抜くようなところがあったぐらいです。お互いが非常に意識をしながら、単独でプロレス興行をしていたのです。
そのような中、新日本プロレスがジュニアヘビー級というジャンルを開拓し、ある人気レスラーを輩出しました。タイガーマスクです。以前から人気のあった漫画の主人公をそのままレスラーにしたてあげたのですが、ヘビー級とは違う身の軽さを利用してい
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