唐人お吉。
嘉永6年6月に突如マシュー・ペリー提督と米国艦隊が来航出現して210余年に及ぶ、日本の鎖国政策に依る太平の眠りから起こされましたが、ペリー提督と艦隊が来航する事を知っていた幕府が何の対策も無く帰したので、嘉永7年1月に再び米国艦隊の来航で、鎖国政策の幕府に、艦隊と大砲を背景に「武力も辞さない」と言う政治的圧力を掛けました。当時の日本としては、見た事も無い最新鋭の黒船「蒸気船」が煙を吐く姿は、幕府にとっても驚きと恐怖だったに違いなく、直ちにペリー提督が「日米和親条約」を神奈川で締結後、タウンゼント・ハリスが「通商条約」締結の為。浦賀に来ましたが、幕府はこれを拒み下田に上陸させ、玉泉寺を改修させて領事館としました。又、通訳のヘンリー・ヒュースケンは下田芸者のお福を侍妾としましたが、姉芸者で当時、17歳のお吉を法外な年俸と引き換えに、ハリスの侍妾とする様に下田奉行に働きかけて、お吉はハリスの処に、奉公にあがる事と成りました。
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