楠木正成。

「楠木正成。笠置山の戦い。」鎌倉時代末期から、南北朝時代にかけての武将、楠木正成(くすのきまさしげ)の古戦場に入る行程に、大阪の富田林から国道で千早赤坂に入ると、小高い丘陵が続き其の一角に古びた墓地がありますが、おびただしい墓石の中に、「寄手塚」「味方塚」と言う鎌倉時代後期に、造られたと言はれる二つの五輪塔が立っています。鎌倉後期で、南北朝に至る混乱期であった元徳3年8月。京を追われた後醍醐天皇は、木津川に近い笠置山(かさぎやま)に陣を置きましたが、其の時に千早から楠木正成が駆けつけました。正成は千早に縄張りを持つ独立武士団であって、正成が千早城など3ケ処の山城で、幕府軍との間だでの激しく繰り広げられた籠城戦やゲリラ戦で、楠木正成の名が戦史に登場するのは、此の頃からであると言はれています。歴史の記録も含めて其れ以前の正成の行状は余り解りませんでしたが、此の戦いに依って多くの死者が出ましたので、幕府側の死者を弔う為に

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2006/12/09




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