国際機関が人員削減をしたとき ~1995年、アフリカ開発銀行~(1)(畑島宏之)

国際機関が人員削減をしたとき ~1995年、アフリカ開発銀行~1、なぜ、昔のリストラ話をはじめるのか

「公務員」と聞くと「リストラ」と無縁、という印象があるだろう。「国際公務員」などというとなおさら、巨大組織に守られた官僚で、安泰な職業と思われがちだ。しかし、激動の今日、公務員のステータスが安定した職業を意味するものでなくなりつつある。

私は、気がついたら国際公務員に正規職員として働いて12年になろうとしている。その国際公務員生活の最初に経験したのが、自分の働いていた組織の大型リストラだった。当時、まだ失うものが少ない若手職員という立場で見たものは、歴史ある巨大組織も、長年の惰性や自浄能力の欠如、おごりや無関心から逃れられず、政治・経済環境の変化に適応できないことを露呈し、「変革か、死か」という選択を迫られるに至ったということだ。そこで働く職員にとっても同じことが問われていた。これまで惰性でやってきたことを厳しく見直し、別のマインドをもって職務を遂行していくことを要求された。

私が6年2ヶ月勤めたアフリカ開発銀行の90年代はそのような「死と再生」の中にあった。95年に始まった銀行の大機構改革は決して世界に広く知られているわけではない。しかし国際機関のリストラとしては、その規模と厳しさにおいて、おそらく他に例を見ないようなものではないだろうか。これからのコラムで、そのアフリカ開発銀行でのリストラを振り返ってみようと思う。

2006年は国際機関や援助機関にとって記憶に残るような大変革を迎える年かもしれない。日本では、「小泉改革」の総決算と言うべき政府系金融機関の再編のなかで、国際協力銀行(JBIC)のあり方、特に日本のODAの旗艦ともいえる円借款を扱う海外経済協力業務(旧OECF業務)の去就をめぐり、ODA実施体制全般にわたり議論されている。また、アメリカでもブッシュ政権は米国援助庁(USAID)を国務省に一層統合させる案を発表した。国際機関もこれまで以上に強い変革へのプレッシャーを受けている。国連改革を目指すアメリカや日本の働きかけを受け、国連は史上初の暫定予算で06年をスタートすることになった。さらに、WHOなどの国連機関では労使紛争にまで発展している。このような情勢を受け、私が直接体験した10年以上も前のリストラ時の記憶と資料を引っ張りだしてみようと思い立った。銀行が危機にいたった過程や要因などはアフリカの組織特有のものもあったであろう。しかし、そこでの経験から、国際機関が世界の課題に対処するためにどうあるべきか、という問いに答えるヒントをいくつか提示できれば幸いだと思う。


Jan 24, 2006




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