パソコン来たり。さらばワープロされどワープロ。ブログ。
ココログ参加当初の頃は、脱兎の如く書き進み、日々楽しみにしていた。
今や、今年になってこれで4回目。亀の歩みとなってしまった。
「諸般の事情」といいたいが「パソコン不調」が主因。
無精者の錯覚とはいえ、万能自動記録装置として頼り切っていたパソコンである。
しかも、このパソコンそのものに、すこぶる愛着があった。
このパソコンは5年前のある日、息子が「もう間に合わないかもしれないが」と言いながら持ち込んだパソコンである。いまさら始めても死ぬまでにマスター出来ないだろうというわけだったが、思えば、この「パソコン来たり」の日は、私の第2の人生の記念日となった。
その昔、若い頃、ガリバンヤをしていた。
板状の鉄板に鑢目をいれて木枠にはめ込んだものをガリ板といい、そのガリ板の上に蝋紙を置いて鉄筆でガリガリと引っかきながら字を書いてゆくガリバンヤである。
蝋紙に鑢と鉄筆でミシン目のように穴を開けていくわけで、その蝋紙の上にインクをつけたローラーを転がして紙にプリントしていく。これを正式には孔版印刷と言った。
こんなものでもエジソンの発明と言っていた。どんなものでも、発明ということは大したものだと思わねばなるまい。
ガリバンヤは率のよいアルバイトで、そのお陰で大学は出たけれど、転々として幾星霜。又いつの間にか印刷屋。その間、印刷システムは、このガリバンからタイプ、テープ、ワープロそしてパソコンへと進化していった。
展示会で初めてワープロを見た時には、一体どうなっているのだと本当にポカンとしてしまった。35年前の話で1台290万円。その頃、一応印刷会社の部長であった私の給料は15万円だった。
その印刷会社は、お役所の請け負いをしていて、そのお役所の印刷現場でワープロ4台をお神輿のように並べて、ゼロックスの社長とお役所の局長の臨席のもとにテープカットのセレモニーが行われたのを覚えている。
いざ出陣、ところが扱える人間が全然いない。ベテランのタイピストを口説いて教習所に送り込みシステム構築に懸命に取り組んだ。
そして印刷屋にとってワープロは神様となっていった。
その神様も今やパソコンに席を譲って「さらばワープロ」と殆ど岩戸にお引きこもりになっている。
だが、「されどワープロ」。印刷屋を自営して30年の私の手元には、キャノン最後のワープロ1990年製「CanoWord NX750」が未だ現役で活躍している。
かたや、息子が持ち込んだ記念すべきパソコン。老いぼれてきたのか居眠りをするようになってしまった。買い換えが一番だ
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