扱いが違いすぎる社会
仏暦2549年09月13日 水曜日
歌舞伎役者の中村獅童(本名小川幹弘)”さん”が、飲酒運転をした挙げ句、交通信号違反をし、書類送検された由。わざわざ”さん”を付けたのは、この事を知った某大手新聞の記事は”さん”付けをしていたからです。
さて、先般記した「海の中道」事故に煽られたか、昨今
「飲酒・酒気帯び運転をした場合、懲戒処分を強化する!」
と言う傾向が強まっています。昨日の今日も、兵庫県姫路市市長が懲戒免職と言う方針を打ち出した由。
そもそも、日本は法治国家な筈です。法の下では万人は公平に扱われる、と言うのが基本理念です。
然るに、方や酒気帯び運転をした”だけ”で新聞テレビで呼び捨てにされ罵詈雑言に曝され、挙げ句失職する人々がいます。方や、同じく酒気帯び運転をして挙げ句信号無視をして”も”さんづけされ、失職もしない人もいます。
まぁ、理屈を言えば、これら全てに通底する法律はないのだから、厳密に言えば法の元での平等に反していないと言う事になるのでしょうが、如何にも不自然。一体、我々は飲酒・酒気帯び運転に対して厳格に対処しようとしているのか、それとも寛容にして、”偶然にも”RV車が突き出されて海に落ち、これまた”偶然にも”幼児が乗っていたものだから3人が水死しても微罪で済ませる、のか…。どっちにするんでしょうか?
ちなみに、結果責任で騒ぎ立てる事は如何にもおかしい。追突してクルマを海に叩き込む程の酩酊は責任重大と考えるべきですが、それは決して子供が3人たまたま死亡したからではない、のです。例えば、たまたま追突したクルマがベンツだった場合とマーチだった場合で責任は異なる…と言うのでは駄目なのです。
しかし、かような一貫性のなさは段々酷くなっているようにも思えます。その根底には、明らかに差別があります。このまま行けば、人を2、3人殺しても銭金さえあればもみ消せるとか、”偉い人”ならばお咎めなし、と言う世界に良くある情けない国になるまで、そう時間はありますまい。
ところで、飲酒運転に対してどれだけ厳罰を課するべきか、廣島自身はどう考えるのかと言えば、まず当たり前の話として飲酒運転にしろ酒気帯び運転にしろ(※そもそもこれらを区別する事自体、かなり馬鹿げていますが)、やるのは自殺行為であり他殺行為であり、やるべきではありません。日本は物凄い過密国家(※国土の8割が山岳地なので、これは人間の活動には使えず、よって実質的に1k四方あたり平均1570人が暮らしている事になります。東京や大阪だと実質的に1k四方に1万人が住んでいます。)なのであり、その行為の結果がどれほどの
(1/2) 次»
コメント(1)|コメントを書く
カテゴリー一覧
最近のコメント
プロフィール
このブログを友達に教える