続続「たまゆら」

ここでは憂き世の悩みがなく、ストレスもないので、毎日が気分爽快で云うことなしである。だが、女は死んでもやはり、女を止めるわけに行かないものなのか、極楽での暮らしが落ち着くと、泰雄のことがそろそろ気になりだした。この間、父に会ったときも云っていた。「ときに、泰雄君はどうしているだろうね?」そこで早速、連絡艇の事務所に電話をかけた。係員は「いま、整備が済んでいて飛べる連絡艇は『ロータスA330号』だけです」「どれでも構いません。すぐ搭乗できれば。」幸恵はピクニックへでも出かけるような浮き浮きした気分で、大した持ち物も持たずに乗り場へ向かった。

 連絡艇は、ハスから取った燃料で飛ぶ。専属のパイロットは乗らず、搭乗者が自分で行き先を入力するだけで、間違いなく目的地へ着く。先日、もとアメリカ人のジョンが入力の際、ビヴァリー・ヒルズというところを、間違ってビバリー・ヘルズとやったら、もう少しで地獄へ連れて行かれるところだったそうだ。

 だが、そういう場合もこちらではチャンと想定済みだったらしく、監視していたコントローラーがすぐに行き先を訂正してくれたので、事なきを得たということだ。娑婆でそそっかしかった者は、極楽へ行ってもそう簡単に直るものではないらしい。

 艇が飛び立ってしばらくすると、大西洋が眼下に見下ろせたが、何やら旅客機の残骸のようなものがたくさん浮かんでいる。どこの部分かはハッキリしなかったが、表面にフランスの三色旗が描かれている。あちこち珍しそうに眺めているうち、雲の切れ目から、永年泰雄と住んだS街のあのなつかしい風景が見え始めてきた。

 かつての我が家の窓からさっそく中を覗いてみると、肝心の泰雄は留守だった。一人暮らしでは家にいても退屈なのだろう。こんどは別棟の書斎に眼を移すと、相変わらずの混雑振りだ。以前から無数といっていいような沢山の本が、足の踏み場もないほど積み重ねられていたが、幸恵が娑婆を離れたあともさらに繁殖を続けているようだ。しかし、泰雄は一体何処へ行ったんだろう。               (つづく)

Jun 9, 2009




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