東ドイツ紀行(1986年5月)・その2第 二 章
さて、いよいよ出発
5月3日(土)くもり、ときどき雨、うすら寒い
長かった前奏曲もようやく終わり、いよいよ出発の日となった。心も軽く、荷物も軽く(折畳みナイロンバッグには洗面具、最小限の着替え、ショルダーバッグにはカメラと資料、合わせて2・5kg)家をでる。母が西鎌倉の駅まで送ってくれた。大船からは横須賀線・総武線直通の成田行き。
成田空港27番ゲイトには、13時発SU588便のイリユーシン62Mが待っていた。例の写真でお山馴染みの尾翼の下にエンジンを4つ付けた機体である。はじめて乗ってみたが内装はボーイングなどとほぼ同じようなものだ。
なかは、20%ぐらいの入りでがらんとしている。チェルノブイリ事故の影響であろう。さて、機内食だが材料は成田仕込みながらメニューはロシア風。やっぱりチキンカツがでた。チキンフロートと異名をとるアエロフロートらしくていいのだがメニューに「キエフ風」とあるのが、時節柄一寸気になった。感心なことに、食事のときはかならずワインが一杯だけつく。
お酒のお替わり有料、映画・イヤホーンのサービスはないが、大部分のお客は、そんなサービスより運賃の安いのを望んでいるはずだ。少なくとも私はそうだ。なにしろ、今日はすいているので3つぐらいの座席を占領してのびのびと横になれた。かくして、モスクワ時間の17時30分、白樺の新線が目に染みるシェレメチエポ空港についた。
シェレメチエボ空港の忍耐
今晩はここでトランジット泊ということになっている。どこの空港でも、翌朝まで乗り継ぎ便がないときはホテル代など先方もちで泊めてくれるらしい。この制度を利用してヨーロッパの帰途かならずシンガポールやバンコクに寄り道して見聞を広めてくる人もいるとか。特に、アエロフロートは、アジアとヨーロッパの中継地としてモスクワトランジット泊を売り物にしているようだ。
ターミナルビルの案内標識にしたがって2階にあがってみるとまだ誰も来ていなかった。やがてぞろぞろ30人以上も集まってきた。結局、乗客のほとんどがトランジットなのだ。ここには椅子のたぐいがないので立ったままで待つ。30分程してようやく制服の係員がやってきた。ヴォリュームのあるカラダが踵のやたらに細いハイヒールに辛うじて支えられているのが印象的なおばちゃんだ。
何かいっている。どうやら行列の先頭は誰かときいている様子。本当は私が一番なのだがこんな場面では、奥ゆかしく人に先を譲り、何をどうするのかをよく確かめてからそれにしたがうのが無難なことは何度も経験ずみである。
そこでわざと後ろのほうへ並んだ。
ここでは、航空券を見せて乗り継ぎ客であ
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