古事記を読む スサノオが襲撃した製鉄所No65
No62で、八俣大蛇は製鉄所のことだと書きました。このような話は、考古学界ではお話になりません。何故お話にならないかといいますと、現在までにわかっている鉄の遺跡は殆ど、6世紀ころ以後ということになっています。最近、どんどん更新されまして、BC200の遺跡カが見つかっていますが、普通はそんなに古くないと考えられています。少し例を挙げますと、岡山県総社市・千引かなくろ谷遺跡は、6世紀後半。岡山県久米町・大蔵池南遺跡は、6世紀後半。広島県庄原市・戸の丸山遺跡は弥生中期後半。岡山県・津寺遺跡は、200~340年。広島県三原市・小丸遺跡は、西暦200年などです。
小丸遺跡とくらべても 300年の隔たりがあります。
茨城県結城郡八千代町の尾崎前山遺跡は、縄文、弥生、平安の複合遺跡ですが、製鉄炉、付属施設、住居跡、出土した土器から判断して、8~9世紀後半と言われています。この遺跡から、出土した木炭を学習院大学の木越邦彦氏がカーボン14法(放射線炭素測定法)で測定したら、紀元前170年であったとのことです。仮にこの紀元前170年を採用しますと、八俣大蛇の製鉄所と同じになります。尾崎前山遺跡は縄文、弥生、平安の複合遺跡であると、なにを以って決められたのか判りませんが、もし、紀元前170が正しいとしますと、判定に1000年もの誤差があります。発掘の詳細が欲しいところです。
横田に近い町をあげますと、広瀬・仁多・大東・吉田村・安来市があります。かつての製鉄所があった所ですが、現在でも踏鞴製鉄が行われ日本刀が作られています。日本の製鉄技術は進んでいますが、日本刀になる玉ハガネは、砂鉄を木炭で還元する方法でないと作ることは出来ません。踏鞴製鉄の踏鞴は、足ふみによるフイゴを言い、フイゴで風を送ることによって鉄をつくる方法ですが、踏鞴の技術が伝わる前は、自然通風を利用して作られたと思われます。この技術を伝えたのは、中山王国から渡来した金山彦で美作の一宮である中山神社(チュウザン)に祀られています。
スサノオの剣が、切ったときに折れたということは、大蛇の剣の方が、品質が良かったということです。戦いは、八俣大蛇は製鉄所の従業員との戦いになり、スサノオの剣が折れたということです。田村誠一氏は、八つの煙道が、一つの太い短い煙道になって、赤い火を噴いていたと書いておられますが、その根拠として、現在でも、茨城県の日立鉱山の煙道が山の斜面に設けられていて、その煙突が短くて太くて、山の頂上にありますと書いておられます。きっと、茨城県まで見に行かれたのだと思います。
私も雲南市吉田村の踏鞴製鉄の後を見に行ってきました。踏鞴製鉄は古くからあったと想像されますが、改良を加えられ、現在では最
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