三界唯一心「三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別」
三界ハ唯一心ナリ 心外ニ別法無シ 心ハ仏ヨリ衆生ニ及ブ 是レ三(界、あるいは心・仏・衆生)ニ差別無シ
これを
三界ハユイイツ 心ナリ ではなく、三界ハタダ 一心ナリ と読めば、
「不如三界、見於三界」 を
三界ノ三界ヲ見ル 如(ゴト)クニ アラズ ではなく、
三界ノ三界ヲ見ルニ 如(シカ) ズ と読み取れます。さすれば
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」 を
「色」も「空」も 差別無し として
捉えることが出来るとおもいます。
三界ハユイイツ 心ナリ と理解すると、「色」も「空」も「心」に帰結されて、
「唯心論」 になってしまうでしょう・・・
*改定追補(平成18年6月23日)
「三界唯心」 ( 正法眼蔵(五) 全訳注 増谷文雄 講談社学術文庫 )
この一巻で道元が何を言わんとしているか?
訳注者は次のようにのべています。
「この一句の表現は、如来一代の総力をあげてなれるものである。一代の総力をあげるということは、如来の力をこぞって余すところなきをいうのである」 ということは、 ここに仏智はことごとく結晶しているのであり、ここに仏教の世界観の根本基底があるとでもいうところであろう。
しかるに、「三界(さんかい)唯心(ゆいしん)」もしくは「三界唯一心」といえば、人はとにかく、ああ仏教は結局のところ唯心論なのだなあと、早合点しがちである。はやい話が、古来から仏教をもって唯心論だとしている人々は、けっして少なくないのであるが、それは、けっして「三界唯心」の真意をえたものでない。
この訳注にしたがって門外漢(拙者)は
「三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別」を、
「三界は唯一(ゆいいつ) 心(こころ)なり」
〔さんがい-ゆいいっしん 【三界唯一心】大辞林 第二版より 〔仏〕 三界のすべての現象は心によってのみ存在し、また、心のつくり出したものであるということ。三界唯心。
ではなく、「三界は唯(ただ) 一心なり」 と読んでみました。
「心」は「こころ」ではなく、「中心の心(しん)」あるいは「核心の心(しん)」です。
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