1184年 (壽永3年、元暦元年)10、11、12月1184年 (壽永3年、4月16日改元 元暦元年 甲辰)
10月13日
「平氏淡路に着すという」
伝聞、教盛卿等の為、長門の国(山口県西部・北部)に在るの源氏、葦敷追い落とされたりと。また平氏五六百艘淡路に着くと。
10月14日
「窃盗等禁中(皇居)に乱入」
伝聞、さる比窃盗等禁中(皇居)に乱入し、朝餉(朝食)に候ふ女房等衣裳悉く剥ぎ取りたりと。未曾有(みぞう)々々々。
(注釈)
未曾有(みぞう)・・・いまだ曾(かっ)て起こったことがないこと。
11月2日 晴れ
「頼朝に讒言あり」
今日源中納言雅頼卿来たり、世上の事を談ず。その次に云う、ある小僧(東国に通達する者と)語りて云う、摂政の辺りの人、余の事を頼朝に讒言(ざんげん)す。これにより先日奏聞の大事、黙止したりと。余かくの如きを聞く、悲しむべし、悲しむべし。推挙専ら好む所にあらず。讒言何ぞ痛むべきや。只家の前途、国の重事、悲しみて余りあるものか。
(注釈)
讒言(ざんげん)・・・人をおとしいれるため、事実をまげ、またいつわって、その人を悪くいうこと。
11月27日
「頼朝、兼実に甘心」
實厳阿闍梨来たり、密に語りて云く、少納言入道(相者、俗名宗綱、三條宮近臣)去る夜坂東より上洛す。言語の次いでに申して云く、頼朝云く、右府(兼実)殿の御事を京下りの輩に問う処、人別にその美を称し、未だその悪を聞かず。爰に社稷(しゃしょく)の臣たるを知ると。その気色を見るに、深く甘心(かんしん)の色有り。且つはこれ殊に音信を通せざるの故と。
(注釈)
阿闍梨(あじゃり)・・・僧位の一つ。
社稷(しゃしょく)・・・国家。朝廷。
社稷(しゃしょく)の臣・・・国家の重臣。
甘心(かんしん)・・・満足すること。快く思うこと。
12月7日 晴れ
「院御所放火近辺に強盗入るも沙汰なし」
近日群盗の恐れ連日絶えず、去る日院御所に放火の事(即ち打ち消したり)有り。又近辺12町の中、強盗入り数人を害す。しかるに敢えて其の沙汰なしと。よつて泰経卿に付け上疏(じょうそ)を捧げる。疎遠の身諫(かん、いさめる)諍(しょう、あらそう)を献ずる能わずと雖も、納めずの条、全く恥じに非ず。よって微忠の至り、款(かん)状を献ずる許りなり。其の書状此の如し。
「兼実款状(かんじょう)」
「放火群盗等を禁遏(きんあつ)されるべき事」
右天下騒乱以後、海内静かならざるの間、五畿七道の海陸の路塞がり、調庸祖税の貢ぎすでに空し。適住
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