1184年 (壽永3年、元暦元年)7、8、9月1184年 (壽永3年、4月16日改元 元暦元年 甲辰)
7月3日 「吾妻鏡」己丑
武衛(頼朝)前の内府(宗盛)已下平氏等を追討せんが為、源九郎(義経)主を以て西海に遣わすべき事、仙洞(せんとう)に申さると。
(注釈)
仙洞(せんとう)・・・上皇の御所。この場合、後白河法皇のことか。
7月8日 晴
「伊賀・伊勢の平家党類謀叛」
伝聞、伊賀(三重県西部)・伊勢(三重県)の国人(こくじん)等謀叛したり。伊賀の国は、大内の冠者(源氏)知行(ちぎょう)すと。仍って郎従等を下し遣わし国中に居住せしむ。而るに昨日辰の刻(8時)、家継法師(平家の郎従、平田入道と号す)大将軍として、大内の郎従等悉く伐ち取りたり。
「鈴鹿山を切り塞ぎ」
また伊勢の国、信兼(和泉の守)已下鈴鹿山を切り塞ぎ、同じく謀叛したりと。この事に因って院中物騒す。喩(たと)えを取るに物無し。
(注釈)
国人(こくじん)・・・在地の武士。
知行(ちぎょう)・・・土地を支配すること。治めること。
7月20日 晴
「官軍近江の国で謀反輩を敗る」
伝聞、昨日伊勢謀叛の輩、近江の国(滋賀県)に出逢い、官兵と合戦す。官軍理を得て、賊徒退散す。宗(そう)たる者を伐ち取りたりと。
(注釈)
宗(そう)・・・最もすぐれた人。
7月21日
「平田入道梟首」
伝聞、謀叛の大将軍平田入道(家継法師)梟首(きょうしゅ)せられたり。その外両三人大将軍たる者伐たれたりと。忠清法師・家資等山に籠もりたりと。
「官軍佐々木秀義討たれる」
また官軍の内、大佐々木の冠者(名を知らず)伐たれたり。凡そ官兵の死者数百に及ぶと。
(注釈)
梟首(きょうしゅ)・・・斬罪に処せられた人の首を木にかけてさらす事。さらし首。
7月28日 晴
「太政官庁にて即位行わる」
この日即位の事有り。治暦四年の例に依って、太政官(だいじょうかん)の正庁に於いて、これを行わる。抑(そもそ)も劔璽(けんじ)の帰り来たるを相待ち、即位を遂行せらるべきや否や、予め人々に問わる。摂政(基通)及び左大臣(経宗)等に依り、剣璽を備えず、天子の位を践(ふ)む。異域例ありと雖も、わが朝かって跡無しと申す。然れども叡慮(えいりょ)並びに識者等の議奏(ぎそう)、天意を知らず、神慮(しんりょ)を測らざるに依って、行わるる所、只目を以てするのみ。
(注釈)
即位(そくい)・・・天皇践粗(せんそ)の後、即位の大礼を行うこと。
太政官(だいじょうかん)・・・国政を総括する最高機関。
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