1183年 (壽永二年)4月1183年 (壽永二年 癸卯)
4月1日
「平座」
平座(ひらざ)、上卿(しょうけい)は権中納言(藤原)家通と。恒例により春日朔弊(さくへい)、午上神斎例の如し。
(注釈)
平座(ひらざ)・・・天皇が出御しないときの略儀。床に着座。
上卿(しょうけい)・・・政務・儀式を指揮する公卿
春日(かすが)・・・春日神社(奈良市春日野町)
朔弊(さくへい)・・・国司が朔日(一日)に奉弊(ほうへい)
奉弊(ほうへい)・・・神に幣帛(へいはく)をささげること。
幣帛(へいはく)・・・神にさしあげる物の総称。
午上(うま、うえ)・・・午(昼12時頃)、2時間の始めの40分
神斎(神祭?)・・・神道の法式によって行う祭り。
4月2日
大将(九条良通、兼実長男)亭に行き向かう。その間(大夫史、小槻)隆職宿祢来ると、来る5日任大臣(の儀式)一定と、響禄を儲けるべからずに依り、兼ねて宣旨有るべからずと、
「平野祭」
この日平野祭り(平野神社、北区にある)、(権中納言藤原)家通宣命を奏す、木工頭(平)棟範を使わしむと、
(注釈)
任大臣(にんだいじん)・・・大臣に任ぜられること。
4月3日 天気晴れ、
中御門大納言(藤原宗家)・宰相(参議)中将(藤原定能)等来る、
「良通催馬楽を習う」
大将(九条良通、兼実の長男)催馬楽(さいばら)(庭生)を、亜相(大納言実定)に習う、(藤原、女房の兄弟)定能卿密に語り云う、今度の中納言、三位中将藤原頼実任ずべしと、二位中将(兼房、兼実の兄)の為実に哀れな事也、左右能わずと、去年の春すでに、任せられるを欲す、時に臨み改易(かいえき)す、今他人を補せられる、運報の至り左右する能わざるか、先日(藤原)定長に付け示す。然れども未だ申し達せざるか。
「二位中将兼房兼実に遺恨あり」
凡そこの人、余に殊に遺恨有り。敢えて会釈無し、然れども、家を憶ふに依り、再三推挙を取る。許容無しの条、又愚兄の過失に非ざるのみ、
「兼実大臣を良通に譲る由世間謳歌す」
定能又語り云う、余(右)大臣を大将(良通)へ譲るべしの由、世間謳歌し、一定の由遍く申さしむと、この事許容有るべくば、尤も大望なり。去年奏聞すと雖も、丞相(左右大臣)辞退の事すでに以て許さず。殆ど逆鱗(げきりん)に触れる、況や譲与の条、更に叶うべからず。よって申し出ずの処、世の推す所、大将の丞相(大臣)すでに仁に当たるか、退いて猶思慮を加え左右すべし。猶年齢幼少なり、今一両年相待つべしか、今年厄が重なるなり、旁(かたはら)謙譲すべしか
「梅宮祭」
今日梅宮祭、上卿中納言
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