あおいとり「それでは、名前を呼ばれた人は、前に出てください」
やさしげな声で呼ばれた園児たちの、「はーい」というハキハキした
まだ幼い声が教室に響き、小さな木製の椅子にすわった小さな頭が
動く。後ろの壁際には、立ったままそれをじっと笑顔で見守る父親や
母親たちの姿がある。皆いつもと変わらぬ顔だった。
ここは、あおいとり幼稚園。子供たちにのびのびと自由な時間を与
えてあげたいという趣旨で設立された私立幼稚園である。決して進
学校への入学準備のための習い事を強要させるところではなく、園
児が笑顔で毎日を自由に遊びながら過ごせる場所だった。
誰もそのことには触れようとせず、平穏のうちに式次第は進んでい
た。これが最後の卒園式、そう、ここには来年が来ないのだ。
幼稚園が今期いっぱいで閉園になるらしい、というその噂が出始め
たのは、昨年の夏休みの最中だった。年少保育の家あてに、来年の
幼稚園を探してくれるようにという、園側からの要請文書が届いたの
だ。もちろんそれに関わる入園料や手続き費用は、一家族につき五
万円ずつ園が支払うという。それは保護者たちの間を、大きな衝撃と
ともに、またたく間に広がっていった。
理由は、事業を起こすための借金のカタに、幼稚園を含む土地すべ
てが抵当に入れられ、結局その借金の返済が出来なくなって差し押
さえられたという、ありきたりと言ってしまえばそれまでのことだった。
それで初めて皆に、切羽つまった園の状況がわかったらしい。
それでも、園を何とか続けてもらえないか、という嘆願が後を絶たなか
った。だがいかんせん、事態はどうしようもないところまで来ていたのだ。
そして、その願いは決して届かないことが皆にわかった。何人かが借金
の肩代わりを考えたが、それが出来るようななまやさしい額ではなかっ
たこともある。
誰も文句を言わなかった。不服を申し立てるものは、いなかった。だが、
それは決してあきらめではない。園のことをおもんばかった皆が、思いや
ったのだ。
「あんなこと、こんなこと、あったよね…」
園児が歌に乗せて、一年間の色々な思い出を振り返る。式次第は、こ
れが最後だった。父兄の中には、つい目頭を押さえる者も出ていた。小
学校にあがることに希望と期待を膨らませる園児たちのくったくのない笑
顔が逆に、廃園のことを知らないことの悲しさと切なさを、父兄たちの心に
湧きあがらせていく。
(1/4) 次»
コメント(0)|コメントを書く
カテゴリー一覧
最近のコメント
プロフィール
このブログを友達に教える