三沢光晴選手を悼む昨今の不況の中、今まで絶対的な価値観を保っていたモノが、ある日突然無くなる。
そんな現象が日常茶飯事になってしまった。
もしキミが、羅針盤も航海図も持たず、大海に乗り出したとしよう。その時に頼るべき絶対的な価値観を持つモノは何だろう? それは、豊富な経験と何物にも耐え得る強さと明確な意志を持った船頭に違いない。
それが、三沢光晴という存在だった。
偏屈先生は、いわゆる「ノアヲタ」というセグメントに相当する人種である。その根源はジャイアント馬場さんだ。一見鉄面皮に見える偏屈先生だが、実はもの凄く涙もろく、一生懸命な選手のファイトを見ているだけで涙があふれてくるので、プロレスを見るのは控えていたのだが、馬場さんとその愛弟子だけは見過ごすわけにはいかなかったのである。
数多い愛弟子たちの中でも特に有名なのが「四天王」……三沢、川田、小橋、田上の4人であった。この4人によるハイスパート・レスリングは確かに一世を風靡したが、その代償として失ったものも大きかったはずだ。いわゆる、「カウント2.9プロレス」……タフマンコンテストとも揶揄されるそのスタイルは、技をすべて受け、耐えて耐えて耐えて、起きあがって倒されて、また起きあがって……ああ、なんて辛い「戦い」なんだろう!
プロレスは八百長であるという。また、ショーに過ぎないと。
そうかもしれない。しかし、僕らはそんなスタイルが好きだった。
「もっともっと」と声を張り上げていた。選手たちの身体は、当然のようにボロボロになっていった。
時間というのは残酷なものだ。
昔できた技ができなくなる。昔取れた受け身が取れなくなる。でも、僕らは「もっともっと」と叫び続けている。
今回の三沢選手の「死」は事故だ。それは断言できる。
これで死ぬくらいなら、三沢なら100回くらいは死んでいる。スティーブ・ウィリアムスの殺人バックドロップはもっと急角度だった。小橋健太のバーニング・ハンマーはもっと強烈だった。
しかし、三沢は立ち上がってきたのだ。
アキトシは普通の技を掛けただけなのだ。しかも、これは選手権試合ではないか! 何を遠慮する必要がある? せっかく見に来てくれた2,300人のお客様に、手加減ファイトを見せられるのか?
アキトシは、胸を張って堂々と生きるべきだ。
そうでなくては、社長のファイトを否定することになる。三沢が、命を張ってまで築き上げてきたファイトを、そのスタイルを……!
もし、三沢選手を殺した者がいるとすれば、それは我々である。ファンである。
五体ボロボロになって、それでも最前線でファイトを続ける三沢選手に、我々は満足
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