背信の科学者たち

OLJとは直接関係がないが、あまりにおもしろかったので、紹介したい。

「背信の科学者たち-論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか」(ウィリアム・ブロード、ニコラス・ウエイド 牧野賢治訳 講談社ブルーバックス)。

原著は20年ぐらいのものだが、日本の状況が20年前のアメリカにそっくりだということがわかる。基本的に著者の主張は科学はかならずしも「アプリオリな真実を解き明かすものではない」ということだ。科学は他の分野と違って、実験という議論の余地がない方法論が基礎になっているから、真実への偽装はおこらないとする思いこみこそが捏造を生んでしまうという。

科学の認知構造はいわゆる「仮説演繹法」であり、それを保証するのが実験だ。実験は再現可能であり、もし嘘をついたとしてもすぐに見破られる。また、論文はピアレビュー(同僚科学者による審査)を通じて検証されるので疑わしいものはその段階で排除され、結果として科学は真実の体系として維持される。このうことを我々は無前提に信じてきた。しかし著書はこれこそが思いこみだという。まず、実験については他の研究者のおこなった実験の追試は滅多におこなわれないということを指摘する。研究とはオリジナリティが大切であり、他の研究者が行った実験を追試しても、評価にはならないからだ。結果として捏造された実験データであっても、それが覆されることは滅多にない。また、ビアレビューも体裁さえ整っていれば、いちいち実験を疑うことはしないし、そもそもあまりに膨大な論文が生産されるので検証などおこなわれない。結果として、捏造や剽窃がまかり通るというわけである。

2005年韓国を揺るがしたヒトES細胞事件のように結果が画期的なものであれば、検証される可能性大きく、事実暴かれたわけだが、そうでないような小さな発見については巧妙な捏造工作が行われればまず発見は不可能という。

では、なぜ科学者は捏造の誘惑に駆られるのだろうか。著者は現在の科学者が真実を求める求道者ではなく、一職業人であるからという。これは現在に限った話ではなく、歴史的にみてもプトレマイオスもガリレイもメンデルも捏造を行った形跡があるという。現在それがめだつのは、科学の世界が圧倒的な競争社会だからだ。有利な就職条件をえるために、新たな研究費を獲得するために、論文の数と評価が必要だからだ。その中で、結果をだせないとき、科学者は捏造の誘惑にかられてしまう。最初はちょっとした恣意的なデータ選択かもしれない。しかし、それが通ってしまったとき、より本格的な捏造へと足をふみだしてしまい、最後には後戻りのできないところにいってしまう。

「欺瞞は科学そのものの中に存在することを認めることによってのみ、科学の本質が理解でき

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書評
2007/02/03



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